Takumi Saito

Quiet Garden

Feb. 19 - Mar. 19, 2022

Roppongi | Projects

齊藤 拓未

静かな庭

2022年2月19日 - 3月19日

六本木|プロジェクト

 GALLERY MoMo Projectsでは、2月19日(土)から3月19日(土)まで当ギャラリーでは初となる齊藤拓未の個展「静かな庭」を開催いたします。

齊藤拓未は1996年東京生まれ。2018年に武蔵野美術大学造形学部日本画学科を卒業し、2020年同大学造形研究科修士課程美術専攻日本画コースを修了、その後東京で個展やグループ展を重ねてきました。

 彼女の作品には、公園や遊具、学校帰りに見た風景や、その風景と一緒に小学生の女の子が,中高でイラストに親しんだという手法をそのままにフラットに描かれ、一人どこか遠くを見つめる子、友達と遊ぶ子、写真をトリミングした足だけが描かれている子、またその子の視点から見えたような景色が、淡いトーンで描かれています。

 昔の自分を作品の中の少女に投影しつつ、残しておきたい目には見えない感情を表現していると言い、幼児のような無邪気さは少女の表情からは伺えず、少女を描いた作品にはどこか抑圧されつつあるような表情が感じられます。

 フランスの精神分析を専門とする哲学者ラカンは「鏡像段階論」で、幼児は自分の身体を統一体と捉えられないが、成長して鏡を見ることによって、もしくは自分の姿を他者の鏡像として見ることによって、鏡に映った像が自分であり、統一体であることに気づくと語っています。身体的統一性を獲得する以前は「寸断された身体」のイメージの中に生きて、自我は空虚な自分を覆い隠す想像的なものと言い、子供の無邪気で根拠のない自信は、そうした想像的な自我が自身の無能力に目をつぶっていられるからで、その想像的な段階に安住するのは子供にとっては非常に快適であり、まさに鏡像段階にいると言えます。

誰しもが幼少期を振り返り、「あの時に戻りたい…」と思う感情は、まさにそういった「快適さ」から生まれてくるのかも知れません。成長の過程で、言語が介入してくると自己同一性と主体性を持ち、自らを認識するようになってきますが、それは、周囲の大人からの言葉によって自らの限界を思いしらされ精神分析学では「去勢」されると呼びます。しかし、それは自己を確立していく上で必要なプロセスであり、このプロセスには他人の存在が必要不可欠となりますが、必ずしもその確立していった自己が真の自己であるとは限らないのです。

 齊藤が小学生の時の自身を思い出し、現在の自分との距離感を感じるのは、自我の確立が他人の存在に委ねられていたが故の感覚が大きいと考えられ、描く少女に表情がないのは、周囲に合わせようとすることで自分がなくなるという危機感の表れで、その感情をこそ描きたかったことと推察されます。現在の風景の向こうにかつて見ていた公園の風景やおもちゃ、そして匂いや音を感じ、その感覚を地続きでないと感じながら、その時確かにあった自分を受け入れ、記録しているようです。

 個人的で内省的な作品のように見えますが、誰もが経験する抑圧的な時期を描き、空虚な少女の表情の中に変わっていく今の自分を重ね、見る人の多くから共感を得ています。「無意識のどこかにしまってあるものが思いがけず出てくることに関心を持つ」という、齊藤の 蓄積されたものを、フラットに表現した作品約15点をご高覧いただければさいわいです。



アーティストコメント


日常の中でみる景色や物によって、忘れ去られていたように思える記憶や感覚が表れる事があります。それらは自己を形成する大事な部分だと感じています。

見過ごしても問題はないようなとるにたらないできごとや、ふとした時によみがえってくる子供の頃の感覚に目を向けることは、自分自身を実感することに繋がっていると思います。


2022年 齊藤拓未